ミュージシャンとしての想ひ

【音楽と生きること】 

ただひたすら歌いたかった高校生時代。毎日音楽と向き合いながら、他のたくさんのシンガーに刺激を受けた学生時代。数々の人生の転機の中、やっぱり音楽とは離れることがなかった20代。

 

わたしは音楽を与えられてきた。

 

音楽に触れられる環境にいつも私をおいてくれた両親がいて、手を伸ばせば音楽を自分で鳴らすことができた。ときには部活で忙しくなりながら、恋愛に大忙しになりながら、子育てをしながら... くっついたり離れたりしながら、いつもずっと音楽がある。

 

与えられた"ギフト"を自分が最大限に使うことが義務だと信じてる。

 

音を奏で、自分から発信するだけのOne wayの枠を超え、誰かと共有したときに初めて音楽が成り立つような言葉にはできない不思議な感覚がある。

頭蓋骨の中で自分の発した声が響き、自分に聞こえ、それが空間に伝わった後に自分に音が返ってくる。これがわたしの中でなんとも言葉で説明できない次元を作る。音楽のマジックに取り憑かれる。そしてその深さに魅了される。

 

奏でた音は単なる”音楽”という存在を越え、コミュケーションやソーシャルアクティビティのツールともなる。 世の中にはいろんなものに長けた人がいて、本当に素晴らしい人たちに出会ってきた。いろんなシーンや数々のインダストリーで活躍しているたくさんの素敵に輝いていて、憧れ、尊敬するたくさんの方々と出会って一緒に何かを作ったり何かに向かう時、私の社会的役目をもう一度感じる。

 

ギフトとして与えられた、わたしの中に流れる音楽を活かしていきたい。

 

 

【音楽を次の世代に...】

 小さいころから日本で音楽を勉強してアメリカでも勉強した。興味があるからイギリスや他の国の音楽も学んでいくうちに、とても混乱していく自分に出逢った。国による音楽の”正しさ”のギャップ。日本ではクラシックとポップスが別れているし(というか、分けたがる)、アメリカとイギリスでは違う観念がある。そんな違いに混乱して自分の音楽が信じられなくなったことがあった。今まで自分はなにを学んできたんだろうかと疲れ果てた。

でも自分がそうなったのかが、いかに自分が音楽を志す人、また人間として未熟だったことを映し現したのだと思う。そう思っている限り答えはみつからない。

 

 ボーカルテクニックがどう、横隔膜がどう、腹式呼吸で丹田に集中してどうでこうで.....というのではなく、とにかくやってみるタイプ。ボーカリストならこれをやれだの、ピアノをこうしろと言われたからってやるものではない。自分がそれを信じて初めてそうするべきだと信じている。そうでなければ、振り回されているだけで時間はどんどん過ぎて行き、本来の自分のもっているものを引き出せないし、引き出してもらえない。少なくともわたしの育った日本では音楽を志すかそうでないかは個人の選択肢。まず、音楽を好きになること。これがいちばん大事。好きじゃなければ...?やらなくていい。好きならば?一緒に楽しみたいです。

 

音楽を使えば、言語が違う人とでも心で会話ができて素敵な時間を過ごせる。世界の共通言語ともよく言われるが如何に本当か幾度と体感した。音楽の世界は、一度踏み入れると魅了されて癖になって出ていけない中毒的な会員制のクラブのようなもの。

 

 

【Ruth的ボーカル論 = 体が楽器です】

ボーカル用語はつかえば使う程営業っぽくなるのであまり好きではないけれど・・・声が共鳴しているときは気持ちがいいので発声や歌唱に迷うなら、まずどうすれば気持ちいいか苦しくないかを探るといい。高い声を出そうと思うと喉がしまって苦しい、というなら気持ちよく歌う方法を探す。どうすると気持ちよく声がでるのか。(自分では編み出しにくいので、ここは教えてもらうと時間短縮!数年分短縮!(笑))  とにかくボーカルは、身体と隣り合わせなのでシンプルです。

その方法を探るだけでなく、他人にアイデアを聞いたり、ボーカルコーチに教えてもらうのももちろんいい。友達に聞いてもらって聞こえ方の感想を聞くのもいい。でも一番大事なのは、自分が何をやっているのかわかってそれをやるということ。

 

 これまで沢山の先生からボーカルを学んだ。その一人一人がずいぶん違うけど、いつもわたしの中にしっかり刻まれているのは声のサポートについて。とくに日本で流行歌唱スタイルはサポートがない。高音をだすときにそのままどっかへ体ごと飛んでいきそうに軽い歌い方をよく聴く。そんな歌手を真似してカラオケに行くし、それでみんな器用に歌えるのでさらにサポートがない。日本でサポートのある声が求められてもいない。「重心をおとして!」と、よくボーカルレッスンで聞くフレーズだけど、「.......?」。果たして、それはどういう意味???抽象的に聞こえてわかりにくい。目に見えないので難しい。

これをどうやって伝えるかがボイストレーナーの力量。今振り返れば、自分自身その意味が本当にわかるまで、10年くらいかかった(!) あたりまえに聞こえる、この「重心おとして!」のフレーズの意味がピンとこないままゆる〜くあまり追求さえしなかった、というのが本音でもある。

よく「バケツを持って歌わされた」など聞きますが、体育会系ボイストレーニングは私はそこまで同感できない。コツは、うまく体を使うこと。腕はバケツを持つんじゃなくてマイクを持つので、いかに肩を自由にさせるかのほうがよっぽど効果があるのです。

長くなりましたが。要は、あなたの体を使うこと。そしてうまく使うこと。

歌うことは楽しい!自分の体をまるで飛行機のように。そしたら自身でそのハンドルを握り自由自在に操りたい!

 

 

【ピアノを弾くこと=目と耳で音楽に出逢う】

幼稚園の先生がクラス中に弾いてた曲を、同じように帰って弾いてた。というのが、わたしとピアノの出会いです。家のピアノの蓋をあけて叩けば、いろんな音が鳴る。右にいけば音が高くなって、左にいけば音が低くなる。隣にいけば半音あがったり下がったり、強く弾いたり弱く弾いたり。この感覚は遊んでいる間に発見したと思う。相対音感もその頃で身につけたと思われ、楽譜を見なくてもその曲を聴いてみれば弾けてしまう。というタイプだったので、大学に入ってから聴音のクラスなどでは苦労したという実は暗い過去があります...。聴音をしても、同じ音とフレーズはそのままそっくり弾けるし、歌えるのに。楽譜にはおこせない、という。などを例にあげられるように基礎に関しては、後悔から生まれた熱い情熱をもっています!ソルフェージュを一から勉強したら本当に楽しいと思う!

音楽の基礎を身につけたら、それが人生の一つの糧になる。音楽の基礎を学ばなくても立派なミュージシャンはたくさんいます。だけど音楽はとても深いから、その知識が人生をいろんな方向で導いてくれる。

ピアノの絶大な魅力は、一目で音が見えること。そしてなんといっても音域の広さ!声では到底追いつけないこのレンジ!ピアノでは88鍵もある鍵盤とその音たちに目と耳で出会えます。まさにここに人生を音楽と生きるたくさんのものが詰まっている!